アーカイブ香取遺産 Vol.231~240
更新日:2026年2月25日
アーカイブ香取遺産 Vol.231~240
Vol.231 間近で見るなら今のうち!香取神宮拝殿の塗り直し
香取神宮では、12年に一度の式年神幸祭に合わせて修理事業などを実施しており、現在は令和8年4月の執行に向けて各種整備が仕上がりを迎えつつあります。
そうした修理事業の一つに、香取神宮拝殿の塗り直し事業があります。丹塗りの楼門をくぐって正面にあたる拝殿は、多くの方が参拝を行い、中で祭事を行う建物です。
香取神宮拝殿・幣殿・神饌所として国登録文化財であり、昭和15年に内務省神社局直営で造営されました。屋根は檜皮葺で、正面には千鳥破風と軒唐破風を付けています。足元から頭貫下部までの軸部は黒漆塗り、組物と蟇股は極彩色が施され、高欄などに金具が配されています。なお、この造営にあたり元々あった旧拝殿(県指定文化財)は東側に曳家で移され、現在は祈祷殿として利用されています。

修復中の拝殿内部の様子
修復中の拝殿の様子
前回の式年神幸祭の前に拝殿・幣殿・神饌所の塗り直しを行ったところでしたが、雨や西日などによる劣化が正面左側(西側)を中心に進んでいたため、内部を除き正面側を中心に塗り直し等を行いました。具体的には、黒漆の塗り直し、彩色の補修、金具の取り外し修理を中心に実施しています。特に黒漆関係では、旧塗膜掻き落とし、下地作業、中塗り(2~5回)、上塗り、仕上げと、多くの行程を経て行われます。
11月中には足場が取り外され、塗り直された拝殿を目にすることができるようになります。完成直後の黒漆塗りは、滑らかで艶やかな仕上がりとなっています。しかしながらこうした状態は数ヵ月しか持たないとのことで、年末年始の時期に参拝する機会があれば、今しか見れない艶を目にすることができるはずです。
今回の式年神幸祭に向けて、香取神宮の参道沿いでは表参道赤鳥居、総門、手水舎、楼門、拝殿正面、本殿透塀で塗り直しや整備が進められました。ご参拝の際には各建造物にもご注目ください。
Vol.232 佐原囃子集成
昭和23年発行の佐原囃子集成』
山車会館で『佐原囃子集成』を紹介するコーナー
今を去ること78年前の昭和23年3月、佐原囃子の伝承における金字塔ともいえる『佐原囃子集成』が刊行されました。
それまでは口伝による伝承方法でしたが、新たに数字を用いた楽譜を作成したのです。数字符は、邦楽に精通していた菅井誠太郎さんが考案したもので、横笛の吹き口に近い方から1、2、3と塞ぐ指孔を表し、数字一つで二分音符または四分音符を、アンダーラインの数によって八分音符、十六分音符として音の長さを示しています。採譜にあたった岡野全一郎さんは、昭和21年から昭和22年の1年間で各地の下座連を訪ね、50曲以上をノートに記録しています。
編集にあたった小川智道さんは、その「はしがき」に「口伝の常として多大の日時を費やすことも大きな欠点であった。更に普及の点から考えてはもっと大きな難点になって来る。坐臥の間にして最奥の秘曲まで独習できるとしたら愛好者にとってどんなにか便利なことであろう。その意味からしてもこの編輯には是非とも心血を傾注しても完成しなければならないと思った。」と刊行に至った思いを綴っています。
『佐原囃子集成』は、岡野さんが所属していた佐原囃子連中によって改訂を重ね、昭和39年に『限定版佐原囃子』が、平成10年には解説編を加えた『佐原囃子集成第三版(楽譜編・別冊解説編)』が刊行されています。
佐原囃子には牧野・玉造・神里と大きく三つの系統があります。これまでの改訂は、牧野系に属する佐原囃子連中の流儀に基づいたものでしたが、平成14年には神里系に属する内野下座連、平成29年には玉造系に属する大戸下座連の楽譜が、また、令和6年には初版の復刻版が有志によって刊行されています。さらに、昨年、『佐原囃子集成第四版』が刊行されました。戦後、自転車で各地を回った一人の青年の熱い思いは、佐原囃子を志す人々の心に燎原の火となって広がっています。
Vol.233 一里の道標ー銚子道の足跡ー

下小堀地先の道標 飯沼観世音江(へ)七里
市内には、江戸時代に佐原・津宮・小見川など物流や交通の要所である河岸があったことは広く知られています。これらの河岸は銚子から江戸をつなぐ利根川の水運に接した地の利により発達したものです。
一方で利根川の右岸(南側の岸)には銚子道と呼ばれる側道があります。木下河岸(印西市)から飯沼(銚子市)に通じるもので、とくに滑川(成田市)と飯沼の間は滑河観音(龍正院)から飯沼観音(円福寺)への巡礼道として使われていました。江戸時代の作家十返舎一九の旅行記「金草鞋 十編 坂東巡礼之記」(1817)では滑川から香取市域を経ての飯沼観音への巡礼が紹介されています。
現在は道の傍らに1里(おおよそ4キロメートル)ごとに石の道標が存在し、かつての銚子道の経路を示しています。道標は天明3~4年(1783~1784)にかけて椎柴(銚子市)出身の僧真永が建てたもので、上部には観音像が浮き彫りされ、下部には飯沼観音までの距離が示されています。飯沼から滑川までの道のりは13里であり、香取市域では阿玉川、下小堀、大倉、佐原イ、森戸、西部田の6基全ての道標が現存しています。厳密に1里ごとではなく、村の境界や寺院など目にしやすい場所に置かれており、巡礼者への配慮がみられます
なお、佐原から滑川までは道標によると4里ですが、これは十返舎一九が旅行記で示した距離と一致しており、この道標を参考に旅をしたのかもしれません。
Vol.234 本命寺の寺宝と武家の信仰

妙見菩薩立像

男神坐像
本命寺は、大崎北部、水田に面した谷の一角にあります。創建は正暦年間(990~994年)、正応年間(1288~1292年)に中興開山と伝わる古寺です。
中世においては、千葉六党の一つである国分氏の祈願所であり、正中年間(1324~1325年)には300石の寺領を誇っていました。また国分氏の居城であった大崎城に寺域が接しており、落城の際には、城内にあった妙見祠の厨子が寺内に移されたと伝わるなど、その関係の深さがうかがえます。
千葉氏は妙見菩薩を信仰しており、市内では荒北砦跡の妙見神社(香取遺産Vol.172)など、その信仰の痕跡が多数見られます。また道教の真武神の影響を受け、長い髪を垂らし鎧を着た姿の軍神として、妙見信仰を形作っていきました。
本命寺の「妙見菩薩立像」も、その例の一つです。総高39センチメートルで、本体は桧一木造、玄武を表現する台座の亀は桧と別材を矧いでいます。周辺地域に伝わる妙見像の容姿との比較から、室町期の製作と考えられます。
その他に、「男神坐像」2躯も伝わっており、袍を着たものは榧製で鎌倉期、狩衣を着たものは桧製で室町期の製作と推定されます。ともに像高21.5センチメートルの小像ながら、優れた出来栄えの木像として貴重です。
これらは3躯とも、市指定文化財となっています。
16世紀末に国分氏が当地の支配を終えた後も、本命寺は江戸期に大崎村を支配した旗本の一人である中山三郎兵衛の帰依をうけたことが元禄7(1694)年の古文書に記されています。この中山三郎兵衛も、一説には妙見菩薩を守護神としていたとのことです。
貴重な文化財とともに、武家の信仰の歴史を今に伝えるお寺です。
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