アーカイブ香取遺産 Vol.211~220

更新日:2024年6月26日

アーカイブ香取遺産 Vol.211~220

Vol.211 下総名勝図絵にみる眺望

 香取市域の江戸時代の様子を伝える地誌に「下総名勝図絵」があります。松沢村(旭市清和乙)の名主を務めた国学者である宮負定雄が天保14年(1843)から嘉永6年(1853)にかけて千葉県北部を旅行して訪れた寺社や町の眺望、伝承をまとめたものです。書中の絵図には詳細な書き込みがされているため、本書は現存しない建物や石碑を記録した貴重な資料として知られています。
 香取市域では、香取神宮の桜の馬場、佐原の諏訪神社と石尊山、大戸神社、大倉の側高神社、阿玉川の仙元山、小見川の小見山・浅見山等の高台からの茨城県方面への眺望が多く紹介されています。それぞれの絵図には手前に展望台となる山と当時の眼下の家並みが書き込まれ、奥には鹿嶋市・潮来市方面の台地や湖沼、筑波山等の遠景が描かれています。

 このうち阿玉川の仙元山は阿玉川地区の小字仙間に接した山ですが、現在は一部が掘削されたため宮負が眺望を記録した地点は立ち入ることができません。小見川の小見山・浅見山は、現在は城山と呼ばれています。山裾の分郷地区に浅間下の小字があり江戸時代の呼び名の名残です。
 宮負は香取神宮の桜の馬場からの十六島方面への眺望を「景色最佳し」と称しています。現在では桜と紅葉の名所として知られる場所からの眺望で、手前には津宮地区の家並み、奥には水郷一帯に帆船が行き交う様が描かれています。
 「下総名勝図絵」は、もとは手書きの個人の記録で限られた人しか見ることができない資料でしたが、現在では刊本となり図書館で閲覧できます。

Vol.212 国史跡「下総佐倉油田牧跡」と地名

 かつて九美上地区周辺の広範囲に、油田牧という馬を放牧するための牧がありました。牧は江戸幕府が整備した馬牧のことです。房総半島には大きく分けて、佐倉七牧、小金五牧、嶺岡五牧の3カ所が置かれました。油田牧は、その佐倉七牧の北東端に位置しています。
 油田牧範囲の西端に残されている野馬込跡(令和元年国史跡指定)は、年1回、野馬捕りの際に使われる土塁状の施設跡です。詳細は香取遺産Vol.156で紹介しています。

 遺構以外にも、野馬込跡周辺は駒込という小字になっているなど、地名にもその名残りがあります。牧と周辺村々の境には、馬や人の出入りを管理する木戸番が置かれましたが、九美上周辺には、木戸にちなむ小字も確認できます。木戸前・木戸脇(大根)、木戸前・毛ケ木戸(下小野)、野馬木戸(織幡)、古木戸(油田)、木戸脇(高萩)、野馬木戸(岩部)、木戸前(伊地山)といった小字で、こうした場所に木戸があったのでしょうか。その他、土手添(返田)、堀尻・堀尻台(大根)、堀志り(福田)といった小字も関連がありそうです。
 九美上という地名自体、明治2年に政府が牧跡の開墾事業を始めた際に、開墾順に数字を付けた比較的新しい地名です。ちなみに近隣では、七栄・八街・十倉・十余三といった地名もあります。

Vol.213 香取市南部の地形~油田牧と分水嶺~

 香取市の中央部から南部にかけては、下総台地と呼ばれる台地が分布しており、前回の香取遺産でも取り上げたとおり江戸時代には幕府の牧場である油田牧がありました。
 牧の範囲は広大な台地を生かしたもので、牧の周囲には谷があります。南部に栗山川水系(図(1)緑色)、北部は小野川水系(同水色)、東部の一部は黒部川水系(同紫色)の川の源流部があります。栗山川は下総台地に流れる川の中でも最大級の河川で、河口は太平洋にあります。小野川と黒部川は利根川に合流するので、油田牧周辺は太平洋と利根川の分水嶺でもあります。
 約12万年前は現在よりも温暖な環境(間氷期)で、関東平野の多くが海面下にあり、遠浅の海の底で平坦に土砂が堆積し、下総台地の原地形を形成しました。その後、約10万年をかけて寒冷化が進み、約2万年前が氷期のピークとなり各大陸に氷河が拡大したことで海面低下が進みました。日本周辺では海水面が約120m低下したとされ、台地は河川や土砂崩れなどによって削られていきました。約12万年のサイクルで何度も繰り返されたため、台地は堆積が進み、河川となりやすいところは繰り返し侵食が進みました。

 以上の過程を経て形成された台地は水が集まりやすいところから削られ、比較的水平な台地にいくつもの樹枝状の谷が見られます。このような谷は谷津などと呼ばれ、台地から水が集まりやすいため古代より水田(谷津田)として活用されてきました。
 谷の奥は水田、谷が集まる河川は輸送や移動に重宝され、台地は牧場や畑に、木は薪炭材にと、地形を生かした生活がこれまで営まれてきました。また、舟で越えられない分水嶺である油田牧周辺は、現在の県道などの道路が多数あります。木戸などの小字や古地図(図(2))などから、古くより多くの道が行き交う場でもあったことがうかがえます。

Vol.214 旧宅の足元にある伊能家の遺構

 国の史跡である伊能忠敬旧宅書院の基礎改良工事に伴い行われた立会調査について紹介します。
 調査の目的は、書院の基礎構造の確認と忠敬の孫の忠誨の実測により作成されたとされる文政7(1824)年の「伊能家実測図」で示されている建物跡を確認することでした。
 書院の基礎の調査は、柱の芯から半分を掘り下げて構造を確認する方法をとりました。その結果、書院の基礎は蝋燭地業と坪地業の2種類であることが確認されました。蝋燭地業とは杭工事のことです。現在の地表面から1mほど掘り下げて松杭を打って根石を置き、さらにその上に杭状の石を立てて礎石を置いていました。坪地業とは、柱の位置に穴を掘り、瓦などを混ぜながら突き固めていく基礎工事です。50センチメートルほど掘り下げてから瓦片や玉砂利などを混ぜて突き固め、その上に礎石を置いていました。

平成25年度に実施された立会調査により検出された遺構↓

 書院の南側では、書院が建てられる前の建物跡が確認されました。この建物は、桁行3間、梁行2間(5.4m×3.6m)の規模と推定されます。柱の立てられた位置には坪地業が施されていました。この坪地業は貝殻を充填して突き固める貝殻地業というものでした。また、焼土、炭化物、灰などが充填された隅丸長方形の遺構が確認されています。地上にどのような構造物があったかは分かりませんが、おそらく燃焼施設の跡ではないかと考えられます。そして、この建物跡の位置は、文政7年の「伊能家実測図」にも記載されている建物の位置と符合することから、改めてこの図の正確さを肯定するとともに、文政期の伊能家の遺構が今も旧宅の足元に保存されていることを教えてくれています。

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