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アーカイブ香取遺産 Vol.151~160

更新日:2019年6月10日

アーカイブ香取遺産Vol.151~160

Vol-151 新規ウインドウで開きます。仁井宿に造られた巨大古墳 浅間神社古墳 
Vol-152 新規ウインドウで開きます。地域の境・気候の境 一ノ分目 境宮神社 
Vol-153 新規ウインドウで開きます。保存修理を終えた旧大宮司家の表門
Vol-154 新規ウインドウで開きます。山倉大神の石像狛犬
Vol-155 新規ウインドウで開きます。鴇崎天神台古墳

Vol-151 仁井宿に造られた巨大古墳 浅間神社古墳 

 JR佐原駅から東へ1.2キロメートルほどの線路沿いに浅間神社があります。神社は、高さ5メートルほどの小山の上に建てられていますが、実はこの小山、佐原地区では最大級の古墳なのです。
 この古墳は「仁井宿浅間神社古墳」と名付けられています。昭和59年(1984)の社殿改修に先立ち、市の教育委員会が測量調査と試掘を行いました。その結果、全長約60メートルの前方後円墳であることが分かりました。後円部の直径は約32メートル、高さは4.8メートル、前方部の最大幅は21.6メートル、高さ2.6メートルでした。試掘の結果から、古墳の周りに掘られた堀の内側で70メートル、外側で90メートル前後の規模が推定されています。神社の参道から西側の畑の方を見ると、何となく後円部から前方部にかけてくびれている形がわかります。出土した埴輪などから、6世紀の中葉から後半に造られた古墳と考えられています。

 かつて、この辺りは、香取の海とよばれた内海が広がっていました。その香取の海と小野川の沖積作用によって陸地化が進み、縄文時代後期から人々の営みがあったと考えられています。
 仁井宿と呼ばれるこの一帯には、浅間神社古墳のほかにも、前方後円墳である変電所裏古墳、円墳と考えられている図能古墳や狐塚古墳、県立病院裏古墳など、今でも大小の古墳が身近に存在しています。平成17年(2005)に実施した変電所付近の確認調査では、新たに円墳の堀の跡が確認されたほか、8世紀後半から10世紀前半頃の集落跡が確認されています。また、昭和61年(1986)に小野川放水路工事に伴って行われた発掘調査では、中世の大きな井戸の跡が発見されたことでも注目を集めました。
 仁井宿は、香取神宮の古文書にみられる「いとにわ」の比定地とされています。14世紀の南北朝時代には「津」とよばれる港の機能を持った村で「井戸庭」と表記されていました。やがて、井戸庭村は佐原村に組み込まれて佐原の新しい宿となり、「にいじゅく」と呼ばれるようになりました。

(広報かとり ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。平成31年2月号(PDF:555KB)

Vol-152 地域の境・気候の境 一ノ分目 境宮神社

 「小見川は雨だったが、佐原では大雪だった」、「佐原は晴れたが、小見川は雨だった」、地元での話や、実際に移動して感じたことはないでしょうか。こうした話では、国道356号線での移動中に、大倉地区付近で変わると感じることが多いようです。
 『千葉県の自然史 本編3千葉県の気候・気象』によると、県内の気候は図のように区分されます。香取市に当てはめると、佐原、栗源、山田の西側が4、小見川、山田の東側に加え北部が5に相当するでしょうか。各気候区の説明は次の通りです。
 4は、千葉県で最も内陸的な気候で、降水量は比較的少なく、冬の気温は低い。北西・北・北東の風が強く、耕地や宅地の防風林・防風垣が多い。台地上は秋から冬にかけて霧が出る。
 5は、気候全般については千葉~木更津周辺の21(冬は北寄りの風が強く、比較的降水量が多く、気温も高め)と大差ないが、冬はやや暖かく、年降水量も21よりやや多い。晴天の時には海風が発達する。台風来襲時は風が強く、塩害が発生しやすい。
 他の気候区の特徴はここでは割愛しますが、おおむね4は内陸性、5は海洋性の気候ということで、香取市内では対照的な気候が同居していることが分かります。市内東部と北部が海の影響を受けるのは、東部は海からの距離が近いため、北部はかつての海を干拓したことと標高が低いためと考えられます。大倉近辺で気候が変わるという話も、実際に気候の境目となっており、裏付けが取れるのです。

 また、この境界線上にあたる一ノ分目地区の台地上に、境宮神社があります。境宮神社は、かつての香取と海上の境界として置かれるようになったとも伝わる神社です。歴史的にも地域の境となっていることになります。平成27年に社殿等が焼失しましたが、地元で多くの協力を得て平成29年に新築した社殿が鎮座しています。
 毎年3月27日より前の日曜日(今年は3月24日)には、拝殿にて昼過ぎから十二面神楽が奉納されます。土地だけでなく気候の境となっているこの神社に思いを馳せながら、社殿と共に一新した用具を用いた神楽を見学してみてはいかがでしょうか。

(広報かとり ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。平成31年3月号(PDF:489KB)

Vol-153 保存修理を終えた旧大宮司家の表門


旧大宮司家の表門(神徳館表門)

 香取神宮の参道から総門を正面に見て、右手にある大きな門が、旧大宮司家の表門で、現在は神徳館表門と呼ばれています。
 江戸時代までの香取神宮では、両社務と呼ばれる大宮司と大禰宜を筆頭に100人余に及ぶ神職が奉仕していました。
 その中でも社家総裁の家柄であり、対外的な役割を担った大宮司家は、齋館としての機能を兼ね備え、その表門は、勅使参向の際の出入り口に使用することから「勅使門」とも呼ばれていました。
 大宮司家の格式を示すこの門は、発見された棟札から天明元年(1781)11月、当時の大宮司・大中臣森房が建立したもので、建ちが高く大規模な構造で、桁行3間、梁間2間の切妻造、屋根は茅葺で両袖塀が付属しています。
 間口は21尺(約6.36m)にも及ぶ大規模なもので、四脚門の間口を広げ、本柱筋(棟通り)を3間としたような構成です。本柱筋は、中央の間に扉を構え、両脇間は額縁付板壁とし、潜戸は付設されず、南北両側には、こけら葺屋根付の袖塀(今回の修理によって銅板葺に改めた)が付属し、その南方袖塀に開戸が設けられています。
この門の構造形式は複雑で随所に絵様・繰形を付けています。規模の割りにはやや木柄が細く、構造・意匠ともよくこの時代を表しているといわれています。

また、この建物には、現在も赤色顔料や胡粉が部分的に残され、創建当初は彩色が施されていたことが確認されるほか、蟇股に近世大宮司家の家紋である巴九曜紋が丁寧に彫り込まれているといった特徴もあります。
 大宮司家の邸宅は、神宮に伝わる寛政3年(1791)の絵図面により、わかりますが、残念ながら、昭和21年(1946)頃に火災により焼失し、昭和34年(1959)には「香取神宮御鎮座2600年祭記念事業」として、その跡地に集会等の施設として神徳館が建設され、現在に至っています。
 唯一、火災から免れたこの門は、建立後の、文化14年(1817)と昭和38年(1963)に屋根葺替工事が行われています。

 香取神宮の大宮司家の格式を示す門で数少ない社家建築の遺例として重要であることから、平成7年6月1日に市指定有形文化財となっています。
 この度、経年劣化により、茅葺屋根や躯体の損傷が認められたことから平成29年度から30年度かけて保存修理工事が行われ、往時の姿に復元されました

(広報かとり ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。平成31年4月号(PDF:561KB))

Vol-154 山倉大神の石像狛犬

 香取市内の神社には50対を超える石造狛犬が奉納されています。このような石造の狛犬が神社などの参道に奉納されるようになったのは近世になってからです。その後、昭和初頭にかけて様々な石工によって意匠を凝らした狛犬が作られました。市内では鮭祭りで有名な山倉大神に3対の石造狛犬が残されています。
 まず、二の鳥居前には「半身構え」と呼ばれる形態の狛犬があります。この形態は片方が身構えた姿勢をとる狛犬です。千葉県内では、2躯とも座った姿勢が主流の地域もありますが、香取市では片方が身構え、もう片方が歩行しているような形態が主流となっています。この狛犬の石工は不明ですが、製作年代は慶応元年(1865年)で香取市内に残されている「半身構え」の中では特に古いものの1つです。

 次に拝殿前の狛犬は「江戸流れ」と呼ばれる形態で、明治32年(1899年)に奉納されています。「江戸流れ」は派手さを求める江戸っ子文化によって生まれた形態で、参拝者からも見えるように尾を腰の所で巻いたりせずに、垂れるようにそのまま足元へと流れた形になっています。石工は芝新門前町(現在の東京都港区)の植田金治郎と鈴木悦造で、正に「江戸流れ」の本場からやってきた狛犬です。特に鈴木悦造は東京都内にある複数の狛犬で銘文を確認することができます。
 この他に、力石の後ろには年代等は不明ですが、2匹の狛犬が追いかけっこをして
いるように見えるユニークな像も見ることができます。市内で同じ場所に3対もの古い石造狛犬があるのは山倉大神だけですので是非見学してみてください。

(広報かとり ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。令和元年5月号(PDF:312KB))

Vol-155 鴇崎天神台古墳

 鴇崎天神台古墳は、市西部の鴇崎地区にあった古墳です。大須賀川を見下ろす台地先端に築造された東西40m・南北32mの円墳で、円墳としては市内有数の規模を誇ります。山砂採取事業に先行して昭和48(1973)年に発掘調査を行った結果、墳丘の中央から粘土槨と呼ばれる埋葬施設が発見されました。

 粘土槨は、遺骸を納めた木棺の周りを粘土で覆ったもので、古墳時代の前期から中期にかけて用いられた埋葬方法ですが、千葉県内では数少ない事例となっています。本古墳では、長さ6.5~8.2mの粘土槨が3基並んで検出され、粘土の厚さは約50センチメートルです。木棺は腐朽して残っていませんが、棺を覆う粘土の断面形から、丸太を縦に割って内部を刳り抜いた「割竹形木棺」であったと考えられます。また、人間の身長に対して、このように長い木棺を使うのは、古い時期の古墳の特徴です。
 棺内からは、鉄剣や滑石と呼ばれる軟らかい石で作った刀子(ナイフ)・斧・臼玉などが出土しました。これらの出土遺物から、本古墳の築造年代は、5世紀前半ごろと考えられます。
 周辺には、大戸地区の大戸天神台古墳(4世紀)、森戸地区の権現前古墳(5世紀後半)・大法寺古墳(6世紀前半)、大戸川地区の禅昌寺山古墳(6世紀中葉)といった前方後円墳があり、大須賀川流域を支配した歴代の首長墓と考えられています。鴇崎天神台古墳は前方後円墳ではないものの、市内有数の大型円墳であることから、大戸天神台古墳の次世代の首長墓かもしれません。

(広報かとり ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。令和元年6月号(PDF:298KB))

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