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アーカイブ香取遺産 Vol.191~200

更新日:2023年1月30日

アーカイブ香取遺産 Vol.191~200

Vol-191 水郷を訪れた文人たち(大正から昭和にかけて)

 大正から昭和にかけて鉄道や橋、観光船が次第に整備され、水郷観光は大いに盛り上がりました。文人たちも風光明媚な水郷を楽しむだけではなく、町の様子や風習にも関心が向けられていきます。田山花袋は、「汽船で通って来ると、到る所に、そうした生霊舟がふわふわと漂って浮かんでいるのが見えた。(中略)何うしてまぎれ込んだかと思われるような真菰と真菰の繁り合っている中に漂って、ひとりさびしそうに波に動いているのなどもあった。さて、しかし、容易に沈まないと言っても、どうせ真菰で編んだ舟である。波に逢っては、覆没し、水が浸み込んで来ては、忽ち沈んでしまうのは、やむを得ないことである。この小さき舟の沈む間の人生 実際、人生はそうした儚ないものであるように私には思われた。」(『水郷めぐり』大正9年)と盆舟について書いています。また大正8年若山牧水(『水郷めぐり』)は、3月に建立されたばかりの伊能忠敬銅像を訪れています。

 昭和になると、水原秋桜子が十二橋で俳句を詠み「濯ぎ場に紫陽花うつり十二橋」、昭和15年尾崎一雄は小野川河口の宿屋にて「十五夜の月が満々たる水の向こうに浮び上った眺めは今だに眼に残っている。盆のような月と云うがそれが静かにのぼってくる。空にはりついたような静かさだ。利根の流れに長くゆれ光る投影。あんな月を、あんなにゆっくりと眺めたことは珍らしい。」(『水郷めぐり』)と書きました。

 戦後は、実際に居住し作品の舞台として水郷が登場します。昭和23年市内の高校に勤務した小島信夫(『鬼』)、昭和28年佐原地区の病院に療養していた吉行淳之介(『水の畔り』)などがあります。

 今では、当時の水郷の景色を見ることはできませんが、東京近辺にはない風景で非日常的な空間を体験して、大いに創作意欲がかき立てられたものと思います。

Vol-192 与倉屋の大土蔵

 昭和10年(1935)当時の佐原町は、人口1万8124人の香取郡の中核的な町で、現在の佐原信用金庫裏手付近には香取郡役所が置かれていました。明治31年(1898)には成田鉄道(現JR成田線)が佐原まで乗り入れ、この当時は松岸まで開通していました。

 佐原の市街地の南側に位置する石尊山から北に向かって撮影された昭和9年の写真には、遠くに利根川の流れを望み、その手前に瓦屋根を載せた新宿の家並みが広がっているのを見ることができます。手前に見える大きな蔵造りの建物は与倉屋(菅井家)の大土蔵と樽蔵です。大きな屋根を載せた土蔵と、その左側に同じような形の樽蔵が4棟(現在は3棟)連なっています。

 与倉屋の大土蔵は、明治22年(1889)に建設された建坪254坪(840平方メートル)、高さ12mほどの規模の大きな建物です。道路に沿って不整形な八角形平面をしており、中に入ると、その広さとともに、複雑に梁と桁が交差する小屋組みからなる独特な空間に目を奪われます。かつて下見板が張られていたモルタル塗りの外壁は、折釘が並び碍子配線が張られています。

 与倉屋は江戸時代後期から酒造業を営み、明治期には醤油醸造業に移行しています。その後、昭和期には醸造業はやめて、大土蔵は政府米の倉庫などとして使われていたこともあるそうです。

 通常は非公開となっていますが、講演や演奏会、イベントの際には会場として今も大土蔵は活用されています。このほど国際「なかなか遺産」推進委員会から、「なかなかと見る人を唸らせ、次世代に継承させたいと思わせる遺産」として、与倉屋大土蔵は、なかなか遺産第7号に認証されました。

Vol-193 言わず語らずの神をまつる 側高神社

 大倉地区に鎮座する側高神社は、古来より香取神宮の第一摂社とされ、創建を同じとする由緒ある神社です。香取神宮では「起請することあれば、必ずこの神に質す」(『香取私記』久保木清淵)とされるなど、関係の深い神社です。旧記等では「脇鷹」「側鷹」「曽波鷹」神社とも記されており、表記は一定ではありません。祭神は深秘となっており明らかにされておらず、千葉県神社庁には側高大神として届けられています(側高神社の正式表記は梯子高を用います)。
 側高神社で行われる例祭で、火たき神事などと呼ばれる祭礼があります。『香取志』(小林重規)によると、かつては旧暦の霜月(十一月)七日の夜に脇鷹祭として様々な祭礼が行われました。香取神宮の大禰宜や大宮司などの神官が、神宮の馬場から騎乗して側高神社に赴き祭礼を行いました。その帰路には丁子にて堀祭、津宮の忍男社では白状祭を行い、戻った後に団子祭(現・団碁祭)などの祭礼も同日に行われたといいます。

 周辺には「ソバタカ」と読める神社が数多く分布しており、現在確認できるだけでも20カ所以上に及び、その表記も実に様々です。市内では丁子の側高神社や岩部の祖波鷹神社等がありますが、市外でも栄町の素羽鷹神社、茨城県小美玉市の側鷹神社、埼玉県吉川市の蕎高神社などがあります。霞ヶ浦や印旛沼を含む、かつての香取の海沿岸とその周辺の河川沿いの台地上を中心に分布しています。
 言わず語らずの神とも称される祭神を祀る側高神社は、香取神宮と関係が深いながらも、謎多き神社です。歴史に思いを馳せながら神社林に囲まれた境内を訪れてみてはいかがでしょうか。

Vol-194 片野前野辺田遺跡の発見

 片野前野辺田遺跡は、令和2年に発見されました。遺跡は、佐原地区片野の大須賀川とその支流に挟まれた南北に延びる台地に所在しています。
 同じ台地の南東0.4キロメートルには、片野前野辺田古墳群があります。昭和46年に新佐原変電所の建設に伴い発掘調査が実施されたもので、古墳時代後期の造営年代が考えられています。また、片野前野辺田古墳群の西側の台地斜面には、所横穴(成田市)があります。横穴は、古墳時代後期から奈良時代にかけて、山腹や台地の縁辺部に横から穴を掘って墓室をつくった埋葬施設です。所横穴は、未調査のため詳細は不明ですが、片野前野辺田古墳群から継続して営まれた可能性が考えられます

 片野前野辺田遺跡は、その後、開発事業計画に伴い発掘調査を実施することとなりました。調査の結果、竪穴住居跡が77軒以上みつかり、古墳時代後期から奈良・平安時代の集落の跡であることがわかりました。集落の成立期である古墳時代後期は、数軒単位の小規模なものでしたが、次第に軒数を増してゆき、奈良時代には最盛期をむかえました。しかし、平安時代になると、軒数は減少して行き、集落は消滅しました。
 片野前野辺田遺跡の成立時期から最盛期は、片野前野辺田古墳群と所横穴の造営時期と重なっていることがわかります。
 また、片野前野辺田遺跡からは、古墳などに副葬されることが多い平瓶という変わった形の須恵器も出土しています。このことから、片野前野辺田遺跡は古墳群や横穴の造営と関わりのある人々の集落跡と考えてよさそうです。集落跡は、さらに北側に展開していると思われ、今後発掘調査等により新たな情報が得られることが期待されます。

Vol-195 新上川岸屋台考

 菅原伝授手習鑑の名場面を飾り物にした新上川岸町の牛天神の山車。飾り物を乗せる屋台の部分は、大正4年(1915)に再建されたもので、それ以前のものは漆塗総彫物として江戸時代に作られたものといわれています。

 屋台を飾る彫り物は、嘉永年間(1848~1854)に石川三之助と石川常次郎による「龍」と「獅子」、明治8年(1875)に岸上定吉と小松重太郎による「古今著聞集」や「平家物語」などから取材したものがあります。
 なかでも、新上川岸町には「裏大板」と呼ばれる、背面の開口部に装着する彫り物があります。佐原では唯一、ここだけが所有しています。普段のお祭りでは装着することが無かったため、その存在は知られていませんでした。保管箱には「松ニ鷹 裏大板壱枚入」「嘉永三庚戌穐 石川三之助作」(嘉永三年:1850)の墨書が確認できます。歴史的にみると、祭り屋台は、囃子方の演奏する場所を幕や障子などで見えなくする特徴があります。佐原も同じで、正面は簾、側面は障子が入ります。「今は勾欄まではみ出して演奏しているが、昔はこの中で演奏していた」との話はよく聞きます。しかし、背面の開口部がどのようになっていたのかは謎でした。裏大板の存在は、そのことを解決する貴重な資料といえるでしょう。


「裏大板」と呼ばれる彫り物

Vol-196 津宮の参詣道

 津宮地区は利根川の南岸、香取神宮の北に位置します。江戸時代以前は北に香取の海を臨み、香取の海から香取神宮に向かう際には、津宮を経由するため、古くから水上をつなぐ要衝でした。江戸時代に香取の海の干拓が進み、利根川が現在のように東流する頃になると、香取神宮への参詣が盛んになり、津宮は参詣と水運の往来で賑わい、宿場の役割を担いました。津宮地区の象徴で参詣道の起点である大鳥居と周囲の宿場の景観が往時の趣を見せています。

 参詣道を香取神宮に向かい進むと、根本川の東西に北面した二つの神社が見えてきます。東側は忍男神社(おしおじんじゃ・東の宮)、西側は膽男神社(まもりおじんじゃ・西の宮)です。両社は浜辺を守護する神社として鎮座し、膽男神社は貞観2年(860)から祀られていると伝えられます。古くから両社が当地にあるため、当地が津宮の地名になったと言われています。さらに参詣道を進むと根本川に、じょんぬき橋と呼ばれる小橋が掛かっています。董橋(ただすばし)が正式な名称で、「じょんぬき」とは「草履脱ぎ」が転じた言葉です。香取神宮の神事の際に朝廷からの使者が、この橋の手前で馬から降りて、履物を脱いだ故事に由来します。また、根本川は参詣にあたり身を清める場所でもありました。
 津宮地区には歴史的な由緒を持つ場所が多く存在しています。折を見て散策してみてはいかがでしょうか。

Vol-197 「ひげなで祭」 側高神社に伝わる奇祭(2)

 ひげをなでるしぐさが特徴的な「ひげなで祭」は、大倉地区に鎮座する側高神社(高ははしご高)で行われる行事です。香取遺産第79回では当番引継ぎの際に髭を撫で酒を飲み合う「七引き合い」を中心に取り上げましたが、今回は行事に目を向けたいと思います。

 ひげなで祭は、側高神社の氏子による当番引継ぎ及び五穀豊穣と子孫繁栄を祈願する行事です。元々は側高神社の別当寺である千手院で行われていたと伝わり、別当寺の守護神である毘沙門天(多聞天)の斎田を管理する当番の引き継ぎとして行われます。田は同地区の北部にあり、その田の管理や耕作を当番が担います。ほかには引き継ぎの際の神饌や、酒宴で用いる酒やサカナ(鮭や鮒)を調達します。かつては斎田で収穫した米で濁り酒を醸造して酒宴に饗し、行事に用いる神饌等は地元産だったそうです。

 祭礼当日、境内社務所より当年及び次年の当番などが参進し、拝殿にて祭典を斎行した後、社殿西側にある多聞天社の前で新旧当番が向き合い、当番の引き継ぎが行われます。

 これらの後、拝殿前で「七引き合い」の酒宴が行われます。西側に髭をたくわえた祭当番、東側に請当番が向かい合って座ります。七引き合いは、初献から始まり、「一、三、五、七、七、五、一」と規定の杯数を各組交代で飲み進みます。規定以上の杯数を祭当番が飲み干した際に髭を撫でると、請当番に対して「もっと飲め」の合図となり、杯が重なるにつれ見物客の笑いを誘い、大いに盛り上がります。

 次回のひげなで祭は、令和5年1月8日13時30分頃より、3年ぶりに執り行われます。

 なお、今回の開催にあたっては、文化庁の地域の伝統行事等のための伝承事業(公開支援)のうち、情報発信を下記ウェブサイトで実施しております。
外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。いくぞまつりへ2022(文化庁特設サイト)(外部サイト)

Vol-198 光福寺の釈迦三尊像保存修理

 地域の檀家にとって大切な信仰の対象として寺院やお堂に安置されている仏像には、過去に修理を施されたものがあります。補修や部材交換の痕跡、古文書などの記録、像に残る修理銘などにより、こうした修理を確認できます。

 現在市内では、24件の仏像が国・県・市の指定文化財となっていますが、そのうち指定後に文化財保存の目的で保存修理を施した市指定の仏像があります。光福寺(寺内)に安置されている鎌倉期制作の木造の釈迦三尊像で、蓮華座に安置された釈迦如来(像高68.8センチメートル)を中尊として、向って右に獅子に乗った文殊菩薩(、像高38.2センチメートル)左に象に乗った普賢菩薩(像高46.2センチメートル)を配しています。いずれも寄木造、漆塗りで、玉眼をはめ込んだものです。

 この三尊像は、東日本大震災の際に、台座ごと崩れ、大きく破損したため、補助事業により平成24年から二か年にわたって像及び台座の保存修理が行われました。修理前に行った専門家による調査では、経年の劣化のほか、像表面の補修、両手首先や台座、装身具の修理・交換のほか、髻や眉間の白毫、背後の光背が失われるなど、造像当初から変わる箇所が見られました。

 修理は専門業者が行いましたが、方針として、現状維持修理を基本として、欠失部分は可能な範囲で復元を試みることとしました。具体的には、ホコリや汚れの除去、欠失部分の新造、漆塗りの上に金箔を押した漆箔の剥落止め、鼠害や虫穴の穴埋め、接合が外れた箇所の再接合など、その内容は多岐にわたりました。

 修理を施した釈迦三尊像、文化財的価値を維持しつつ、地域の大切な仏像として守り伝えられています。

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