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アーカイブ香取遺産 Vol.191~200

更新日:2022年9月5日

アーカイブ香取遺産 Vol.191~200

Vol-191 水郷を訪れた文人たち(大正から昭和にかけて)

 大正から昭和にかけて鉄道や橋、観光船が次第に整備され、水郷観光は大いに盛り上がりました。文人たちも風光明媚な水郷を楽しむだけではなく、町の様子や風習にも関心が向けられていきます。田山花袋は、「汽船で通って来ると、到る所に、そうした生霊舟がふわふわと漂って浮かんでいるのが見えた。(中略)何うしてまぎれ込んだかと思われるような真菰と真菰の繁り合っている中に漂って、ひとりさびしそうに波に動いているのなどもあった。さて、しかし、容易に沈まないと言っても、どうせ真菰で編んだ舟である。波に逢っては、覆没し、水が浸み込んで来ては、忽ち沈んでしまうのは、やむを得ないことである。この小さき舟の沈む間の人生 実際、人生はそうした儚ないものであるように私には思われた。」(『水郷めぐり』大正9年)と盆舟について書いています。また大正8年若山牧水(『水郷めぐり』)は、3月に建立されたばかりの伊能忠敬銅像を訪れています。

 昭和になると、水原秋桜子が十二橋で俳句を詠み「濯ぎ場に紫陽花うつり十二橋」、昭和15年尾崎一雄は小野川河口の宿屋にて「十五夜の月が満々たる水の向こうに浮び上った眺めは今だに眼に残っている。盆のような月と云うがそれが静かにのぼってくる。空にはりついたような静かさだ。利根の流れに長くゆれ光る投影。あんな月を、あんなにゆっくりと眺めたことは珍らしい。」(『水郷めぐり』)と書きました。

 戦後は、実際に居住し作品の舞台として水郷が登場します。昭和23年市内の高校に勤務した小島信夫(『鬼』)、昭和28年佐原地区の病院に療養していた吉行淳之介(『水の畔り』)などがあります。

 今では、当時の水郷の景色を見ることはできませんが、東京近辺にはない風景で非日常的な空間を体験して、大いに創作意欲がかき立てられたものと思います。

Vol-192 与倉屋の大土蔵

 昭和10年(1935)当時の佐原町は、人口1万8124人の香取郡の中核的な町で、現在の佐原信用金庫裏手付近には香取郡役所が置かれていました。明治31年(1898)には成田鉄道(現JR成田線)が佐原まで乗り入れ、この当時は松岸まで開通していました。

 佐原の市街地の南側に位置する石尊山から北に向かって撮影された昭和9年の写真には、遠くに利根川の流れを望み、その手前に瓦屋根を載せた新宿の家並みが広がっているのを見ることができます。手前に見える大きな蔵造りの建物は与倉屋(菅井家)の大土蔵と樽蔵です。大きな屋根を載せた土蔵と、その左側に同じような形の樽蔵が4棟(現在は3棟)連なっています。

 与倉屋の大土蔵は、明治22年(1889)に建設された建坪254坪(840平方メートル)、高さ12mほどの規模の大きな建物です。道路に沿って不整形な八角形平面をしており、中に入ると、その広さとともに、複雑に梁と桁が交差する小屋組みからなる独特な空間に目を奪われます。かつて下見板が張られていたモルタル塗りの外壁は、折釘が並び碍子配線が張られています。

 与倉屋は江戸時代後期から酒造業を営み、明治期には醤油醸造業に移行しています。その後、昭和期には醸造業はやめて、大土蔵は政府米の倉庫などとして使われていたこともあるそうです。

 通常は非公開となっていますが、講演や演奏会、イベントの際には会場として今も大土蔵は活用されています。このほど国際「なかなか遺産」推進委員会から、「なかなかと見る人を唸らせ、次世代に継承させたいと思わせる遺産」として、与倉屋大土蔵は、なかなか遺産第7号に認証されました。

Vol-193 言わず語らずの神をまつる 側高神社

 大倉地区に鎮座する側高神社は、古来より香取神宮の第一摂社とされ、創建を同じとする由緒ある神社です。香取神宮では「起請することあれば、必ずこの神に質す」(『香取私記』久保木清淵)とされるなど、関係の深い神社です。旧記等では「脇鷹」「側鷹」「曽波鷹」神社とも記されており、表記は一定ではありません。祭神は深秘となっており明らかにされておらず、千葉県神社庁には側高大神として届けられています(側高神社の正式表記は梯子高を用います)。
 側高神社で行われる例祭で、火たき神事などと呼ばれる祭礼があります。『香取志』(小林重規)によると、かつては旧暦の霜月(十一月)七日の夜に脇鷹祭として様々な祭礼が行われました。香取神宮の大禰宜や大宮司などの神官が、神宮の馬場から騎乗して側高神社に赴き祭礼を行いました。その帰路には丁子にて堀祭、津宮の忍男社では白状祭を行い、戻った後に団子祭(現・団碁祭)などの祭礼も同日に行われたといいます。

 周辺には「ソバタカ」と読める神社が数多く分布しており、現在確認できるだけでも20カ所以上に及び、その表記も実に様々です。市内では丁子の側高神社や岩部の祖波鷹神社等がありますが、市外でも栄町の素羽鷹神社、茨城県小美玉市の側鷹神社、埼玉県吉川市の蕎高神社などがあります。霞ヶ浦や印旛沼を含む、かつての香取の海沿岸とその周辺の河川沿いの台地上を中心に分布しています。
 言わず語らずの神とも称される祭神を祀る側高神社は、香取神宮と関係が深いながらも、謎多き神社です。歴史に思いを馳せながら神社林に囲まれた境内を訪れてみてはいかがでしょうか。

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