更新日:2022年5月1日
伊能忠敬は、50歳を過ぎてから日本全国を測量して歩き、わが国最初の実測日本地図をつくりあげた人物です。
伊能忠敬記念館では、忠敬の人生を年代順に追い、その業績の結晶である伊能図をあますことなく紹介します。
忠敬は、50歳で江戸へ出るまで佐原の名主・村方後見を務め、家業では醸造業等を営んでいました。
34歳の時松島への旅行では神社仏閣を訪ねる旅でしたが、48歳の時伊勢神宮への旅の途中には、緯度・方位観測を行っており、このころから天文や暦学への興味をいだいていました。
江戸で、幕府の天文方(てんもんかた)(暦を司る職)である高橋至時の弟子になり勉強を本格的に始めます。55歳で北海道南岸の測量を行い、以後計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳まで行いました。
忠敬は73歳で亡くなりますが、彼の没後3年にして日本全図は完成しました。
伊能図には、1821年完成の「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」(縮尺36,000分の1である大図が214枚、縮尺216,000分の1である中図が8枚、縮尺432,000分の1である小図が3枚)のほか、測量ごとに作った地図や名勝地を描いたものなど、多くの種類があります。いずれの地図も実際に測量してつくられたので、とても正確であるとともに、芸術的な美しさを備えています。
(国宝の伊能図や測量器具は2ヶ月ごとに展示替えを行っています)