香取市新規指定文化財:多宝院万福寺跡双式板碑、正嘉二年在銘板碑

更新日:2023年2月15日

香取市新規指定文化財:多宝院万福寺跡双式板碑、正嘉二年在銘板碑

令和4年3月1日付けで、香取市新規指定文化財として多宝院万福寺跡双式板碑、正嘉二年在銘板碑が指定されました。これら2件についての概要を紹介します。

多宝院万福寺跡双式板碑(有形文化財・考古資料)

  • 指定日:令和4年3月1日
  • 所有者:木内区
  • 制作年代等:1200年代後葉から1300年代前葉
  • 法量等:高さ227センチメートル、幅74センチメートル(頭部)から91センチメートル(基部)、最大厚21センチメートル

板碑は、市道1-33号線の木内区民センター(多宝院万福寺跡)入口にありましたが、市道拡幅事業により、現在は原位置よりやや西側の共同墓地に移設されています。
 筑波変成岩を用い、一枚の石材に二つの板碑を彫り込んだ大型の双式板碑です。中央に縦に刻線を入れて左右に分割し、頂部は山形、その下に二条線を刻みます。向かって右側には釈迦三尊、左側には阿弥陀三尊の種子を彫り、主尊の上下に天蓋と蓮座、脇侍の下に蓮座を配しています。碑面の左端には敲打痕が残りますが、両側面は直線的に裁断されて研磨痕も認められ、きわめて丁寧な石材加工です。碑面には銘文の痕跡は認められません。
 古くから知られた板碑で、明治40年(1907)には、江見水蔭によって「多寶院といふ寺の入口に、珍しき大板碑あり。(中略) 而して年号の記入を見出し能はざりき。考古家の一見に値すべし。」と紹介されています。平成28年、市道拡幅事業に伴う移設の際、小見川史談会によって板碑の観察・計測・拓本採取が行われました。
 碑面には銘文が認められないため造立年代は不明ですが、天蓋・瓔珞・蓮座の形状、キリークの縦横比と薬研彫の彫り方などを周辺の板碑と比較し、1200年代後葉から1300年代前葉の造立と考えられます。

 下総型板碑は、今回新たに指定された正嘉二年(1258)が最古で、1300年ごろまでは一貫して幅に対する高さの比が大きい形態が採用され、それ以降は幅が広くなります。本板碑の場合、細部においては初期下総型板碑より新しい要素がみられますが、初期下総型板碑の形態を踏襲しています。
 1200年代後葉から1300年代前葉の造立と考えられ、現在確認されている双式板碑の初現期にあたることから、下総型の双式板碑の成立を考える上で貴重な資料といえます。

正嘉二年在銘板碑(有形文化財・考古資料)

  • 指定日:令和4年3月1日
  • 所有者:個人
  • 制作年代:正嘉二年(1258)二月
  • 法量等:高さ178センチメートル、最大幅45.5センチメートル、厚8センチメートル

 正嘉二年(1258)二月の紀年銘を持つ板碑で、現在、県内で文化財指定された中では正元元年(1259)の紀年銘を持つ板碑が最も古いとされますが、これを1年遡るものです。材質は、筑波変成岩です。
全高は178センチメートル、最大幅45.5センチメートル、厚さ8センチメートルと、幅の狭い特徴を有する板碑です。状態は、向って右上部の表面に剥落が認められる以外は、全体的に比較的良好といえます。
 頂部を鋭角的に山形に尖らせ、その下の二条線を刻んでいます。上部中央にキリーク(阿弥陀如来)の梵字種子を鐫刻し、その上部に天蓋、下部に蓮座を伴います。種子の下位には「光明遍照/十方世界/念佛衆生/攝取不捨」(原資料では「攝」は異体字)の観無量寿経の偈文、最下部には「右志者爲悲母往生/極楽頓證□□□(菩提也カ)」の造立趣旨と、「正嘉二年二月□□」の紀年銘が刻されています。
 偈文の下半分から土中となっているため、造立趣旨及び紀年銘は直接確認することはできません。

 現在、市内指定文化財の板碑は、今回の指定を受けて県指定4件、市指定15件を数えます。このうち県指定の板碑はいずれも正元元年(1259)の紀年銘を持つものであり、これまで県内では最も古い板碑とされてきました。本板碑は正嘉二年(1258)の紀年銘であることから、これを1年更新するものであり、その形状なども優れたものであることから、学術上、貴重な文化財であるといえます。

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