佐原の大祭とは

佐原の大祭とは

 小江戸佐原の一大イベント『佐原の大祭』は、7月10日以降の金曜・土曜・日曜日に行われる八坂神社祇園祭と、10月第2土曜日を中日とする金曜・土曜・日曜日に行われる諏訪神社秋祭りの総称をいい、 関東3大山車祭りの一つと称され、約300年の伝統を有します。

 山車は24台あり、夏祭りに10台、秋祭りには14台の山車がそれぞれ曳き廻されます。

 日本三大囃子「佐原囃子」の音を町中に響かせながら、小江戸と呼ばれる町並み(国選定重要伝統的建造物群保存地区)の中を家々の軒先をかすめながら進むさまは風情たっぷりで、江戸時代の情景を彷彿とさせます。

 自慢の山車は、総欅造りの本体に関東彫りの重厚な彫刻が飾り付けられ、上部には江戸・明治期の名人人形師によって制作された高さ4mにも及ぶ大人形などが飾られています。

 平成16年(2004)2月6日、「佐原の山車行事」が国の重要無形民俗文化財に指定されました。

歴史・由来

 佐原の市街地の中心部を東西に分断するように流れる小野川を境にして、東側の地域を本宿と呼び、西側の地域を新宿と呼んでいます。
 本宿は字のごとく、中世から続く元々の町場の地域です。祇園祭は、京都で貞観年間(859~877)に疫病の祟りを鎮めるために始められた祇園御霊会に由来しています。文献資料からは、14世紀にはすでに八坂神社の前身である牛頭天王社が佐原八日市場の地に祀られていたことが知られています。祇園祭自体いつの頃から始められたのかは定かではありませんが、元禄15年(1702)までには旧暦の6月10日に浜下りの神事が、6月12日には祇園の神事が行われていました。

 浜下りの神事とは、10日の暮れ前に天王社から神輿を出して橋元まで行き、川舟に乗せてお神酒の奉献と神楽の奉納を行い天王社へ帰る神事のことで、祇園の神事とは、12日の暮れ前に再び神輿を天王社から出して大工の治兵衛宅前に御仮屋を作り、そこへ神輿を運び、お神酒の奉献と神楽の奉納を行い天王社へ帰るというものでした。

 元禄16年(1703)に天王社の別当寺であった清浄院より、多くの人が神輿に参詣できるようにとの申し出を受け、浜下りのあと神輿を帰さずに御仮屋へ留め置き、12日に戻すという神幸の形になりました。その後、各町内へも神輿を廻すようになり、正徳4年(1714)に初めて神輿神幸に練物が登場するようになりました。

 一方、新宿は天正年間(1573~1591)に新しく開起された地域で、元々は本宿新宿の区別なく佐原村の鎮守として天王社を祀っていました。その後、町場として発展を見た新宿は、新たに諏訪社を鎮守として祀るようになりました。諏訪祭は、信州諏訪社の御射山神事に由来し、天保10年(1839)に書かれた文書から、享保6年(1721)に名主の伊能権之丞という人が中心となって、本宿の祇園祭とは別に、練物を中心とした諏訪の祭礼を新たに企画したことが知られています。これ以降、新宿では祇園祭に係わらなくなり、今日に至っています。

 現在、山車祭りの起源を諏訪祭の享保6年(1721)としています。これは、祇園祭の練物は享保10年(1725)を最後に出されなくなり、再び常態化するのは、それから43年後の明和5年(1768)のことだからです。

 ただし、明和5年(1768)においても依然、様々な出し物による練物の形態であり、現在のようないわゆる「佐原型」という山車の祭りが成立するのは、江戸時代の後期、文政年間(1819~1829)以降と考えられています。

佐原の大祭 歴史写真館

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関連情報

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