佐藤尚中先生石像建立事業
更新日:2025年1月10日
左から 佐藤尚中記念像建立委員会会長、香取市教育長、香取市長、香取市議会議長
完成記念除幕式典を開催しました
郷土の偉人である佐藤尚中先生の石像が小見川駅前ロータリーに建立されたことを記念し、除幕式を執り行いました。
日時:令和2年10月23日(金曜日) 午前10時30分から
場所:小見川駅前ロータリー
式次第:開式の辞、主催者挨拶、来賓祝辞、来賓紹介、除幕、閉式の辞、記念撮影
建立の趣意
石像のモデルになった佐藤尚中の肖像画
小見川駅の駅前広場
平成28年4月に「北総四都市江戸紀行‐江戸を感じる北総の町並み‐」が文化庁の日本遺産に認定され、その構成文化財として佐倉の順天堂並びに佐藤尚中誕生地(内浜公園、香取市小見川444)も登録されました。
佐藤尚中先生は、文政10年(1827)に小見川藩医山口甫僊の次男として、下総国小見川村(現、香取市小見川字内浜)に生まれ、幼名は竜太郎、のちに舜海と名乗ります。幼少期から江戸へ出て儒学や医学を学びました。そして天保13年(1842)、16歳の時に佐藤泰然の和田塾(現、順天堂大学)に入門して蘭方医学を学び、嘉永6年(1853)に泰然の養子となりました。
万延元年(1860)には、長崎に留学してポンペから外科を中心に西洋医学を学び、外科手術には特に優れた技量を示し、国手と呼ばれました。その後の文久2年(1862)に佐倉に帰って順天堂で診療と門弟の教育に当たると共に、藩主に医政の改革を献言し、藩主はすべて洋方医とするとともに、佐倉養生所を開設して西洋医学を推奨しました。
明治2年(1869)新政府に請われて大学大博士となり、大学東校(東京大学医学部の前進)を主宰し、翌年大学大丞兼大学大博士大典医となりました。明治5年に下野しましたが、それ以降も下谷に順天堂医院を開くなど、医学発展のために尽力しました。日本近代医学の中心的人物として活躍しましたが、明治15年(1882)に56歳で亡くなられました。
詳しくは、アーカイブ香取遺産をご覧ください。
佐藤尚中
佐藤尚中誕生地は千葉県指定史跡
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