佐藤尚中先生石像建立事業

更新日:2020年10月29日

完成記念除幕式典を開催しました

 郷土の偉人である佐藤尚中先生の石像が小見川駅前ロータリーに建立されたことを記念し、除幕式を執り行いました。

日時:令和2年10月23日(金曜日) 午前10時30分から
場所:小見川駅前ロータリー
式次第:開式の辞、主催者挨拶、来賓祝辞、来賓紹介、除幕、閉式の辞、記念撮影


左から 佐藤尚中記念像建立委員会会長、香取市教育長、香取市長、香取市議会議長

建立の趣意

 平成28年4月に「北総四都市江戸紀行‐江戸を感じる北総の町並み‐」が文化庁の日本遺産に認定され、その構成文化財として佐倉の順天堂並びに佐藤尚中(たかなか)誕生地(内浜公園、香取市小見川444)も登録されました。
 佐藤尚中先生は、文政10年(1827)に小見川藩医山口甫僊の次男として、下総国小見川村(現、香取市小見川字内浜)に生まれ、幼名は竜太郎、のちに舜海と名乗ります。幼少期から江戸へ出て儒学や医学を学びました。そして天保13年(1842)、16歳の時に佐藤泰然の和田塾(現、順天堂大学)に入門して蘭方医学を学び、嘉永6年(1853)に泰然の養子となりました。
 万延元年(1860)には、長崎に留学してポンペから外科を中心に西洋医学を学び、外科手術には特に優れた技量を示し、国手と呼ばれました。その後の文久2年(1862)に佐倉に帰って順天堂で診療と門弟の教育に当たると共に、藩主に医政の改革を献言し、藩主はすべて洋方医とするとともに、佐倉養生所を開設して西洋医学を推奨しました。
 明治2年(1869)新政府に請われて大学大博士となり、大学東校(東京大学医学部の前進)を主宰し、翌年大学大丞兼大学大博士大典医となりました。明治5年に下野しましたが、それ以降も下谷に順天堂医院を開くなど、医学発展のために尽力しました。日本近代医学の中心的人物として活躍しましたが、明治15年(1882)に56歳で亡くなられました。

詳しくは、アーカイブ香取遺産をご覧ください。
 

佐藤尚中記念像建立にあたり寄付を募集

寄付金の募集は終了いたしました。

正面から見た小見川駅の写真
JR小見川駅正面

 水郷小見川観光協会では、佐藤尚中先生の偉大な業績を後世まで顕彰すべく、佐藤尚中記念像建立委員会を設立し、小見川駅前に佐藤尚中先生のモニュメント像を建立することとなりました。

 寄付に賛同いただける方は下記までお問合せください。

お問合せ先

佐藤尚中(たかなか)記念像建立委員会 水郷小見川観光協会
栗田 電話:0478-82-2380 ファクス:0478-82-2389

このページの作成担当

商工観光課 観光班
〒287-8501 千葉県香取市佐原ロ2127番地 (市役所3階)
電話:0478-50-1212 
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