記念館の概要
更新日:2016年2月1日
伊能忠敬は、50歳を過ぎてから、日本全国を測量して歩き、わが国最初の実測日本地図をつくりあげた人物です。
伊能忠敬記念館では、忠敬の人生を年代順に追い、その業績の結晶である伊能図をあますことなく紹介します。
佐原時代
伊能忠敬50歳までの前半生を紹介
忠敬は、50歳で江戸へ出るまで佐原の名主・村方後見を務め、家業では醸造業等を営んでいました。
34歳の時松島への旅行では神社仏閣を訪ねる旅でしたが、48歳の時伊勢神宮への旅の途中には、緯度・方位観測を行っており、このころから天文や暦学への興味をいだいておりました。
全国測量
隠居してからの勉学と全国測量の行程を紹介
江戸で、天文方高橋至時の弟子になり勉強を本格的に始めます。55歳で北海道南岸の測量を行い、以後計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳まで行いました。
忠敬は73歳で亡くなりますが、彼の没後3年にして日本全図は完成しました。
伊能図の完成
伊能図の数々を紹介
伊能図には、1821年完成の「大日本沿海輿地全図」(大図214枚縮尺36,000分の1、中図8枚縮尺216,000分の1、小図3枚縮尺432,000分の1)のほか、測量ごとに作った地図や名勝地を描いたものなど、多くの種類があります。いずれの地図も実際に測量してつくられたので、とても正確であるとともに、芸術的な美しさを備えています。
(国宝の伊能図や測量器具は2ヶ月ごとに展示替えを行っています)
地図の世界
日本地図の歴史や、楽しい世界の地図を紹介
伊能忠敬がつくった伊能図により日本の正確な姿が紹介された19世紀以前において、ヨーロッパの人々は日本の姿をどのように理解していたのでしょうか。
ヨーロッパから見れば極東の地である日本については、さまざまな憶測やとぼしい地理的情報に基づいて描いていました。また、同時に日本人は自分の国の姿をどのように理解していたのでしょうか。
地図はその時の時代観、宗教観、目的によってさまざまな形をとります。見ても楽しく興味深いものです。
