香取市の概要・なりたち

更新日:2016年2月1日

 香取市は、千葉県の北東部に位置し、北は茨城県と接しています。東京から70km圏にあり、世界への玄関、成田空港から15km圏に位置しています。北部には利根川が東西に流れ、その流域には水郷の風情漂う水田地帯が広がり、南部は山林と畑を中心とした平坦地で北総台地の一角を占めています。

 日本の原風景を感じさせる田園・里山や、水郷筑波国定公園に位置する利根川周辺の自然景観をはじめ、東国三社の一つ「香取神宮」、日本で初めて実測日本地図を作成した「伊能忠敬」(関係資料は国宝指定)の旧宅ほか江戸時代から昭和初期に建てられた商家や土蔵が軒を連ねる佐原の町並み(国選定重要伝統的建造物群保存地区)が見られるなど、香取市は水と緑に囲まれ、自然・歴史・文化に彩られたまちです。

 行事も年間を通して盛んに行われ、4月から5月にかけては小見川城山公園の「水郷おみがわ桜つつじまつり」が、6月には400品種150万本の花菖蒲が咲き誇る水郷佐原アヤメパークの「水郷佐原あやめ祭り」が訪れる人の目を楽しませています。7月と10月には佐原囃子の調べに乗って山車が市内を曳き廻される勇壮絢爛な「佐原の大祭」(ユネスコ無形文化遺産/国指定 重要無形民俗文化財)が盛大に開催され、8月には関東でも有数の歴史と規模を誇る「水郷おみがわ花火大会」が開かれます。そのほか、日本一の焼いも広場が人気の「栗源のふるさといも祭」や、新緑の里山を彩る「いきいき山田鯉のぼりまつり」、黒部川での「市民レガッタ」、歴史ある町並みの中を走る「小江戸マラソン」など、地域の特性を活かした催しが数多くあります。

 産業面では、古くから水郷の早場米産地として知られる米どころであり、また、食用甘しょの生産・販売額全国一を誇る千葉県の中でも一番の生産地であることから、日本一の食用甘しょ生産地ともいえます。温暖な気候と肥沃な農地に恵まれ、首都圏の食糧生産地の役割を担っています。

香取市の位置

位置

 千葉県の北東部に位置し、北部は茨城県と接しています。東京から70km圏、千葉市から50km圏にあり、世界への玄関、成田空港から15km圏に位置しています。

  • 東経 140度29分38秒
  • 北緯 35度53分51秒
  • 面積 262.35平方km

地勢

 北部には水郷の風情が漂う利根川が東西に流れ、その流域には水田地帯が広がり、南部は山林と畑を中心とした平坦地が北総台地の一角を占めています。

歴史

 香取市の北部、千葉県と茨城県にまたがる地域は、古くは大きな内海が存在していました。その範囲は、霞ヶ浦や印旛沼、手賀沼にも及び、「香取の海」や「香取流海」などとも表現されていました。その後、古利根川などにより上流の泥砂を沈積していき、デルタ地域を形成しました。利根川が現在の姿に近くなるのは、江戸時代の前半になります。

 このため、内海との境となる北総台地の縁辺部などに多くの遺跡が残されています。阿玉台貝塚、良文貝塚(小見川)、下小野貝塚(佐原)、向油田貝塚(山田)などの貝塚遺跡、神道山古墳群、又見神社古墳(佐原)、城山古墳群(小見川)などの古墳遺跡など、古の先祖が生活していた痕跡を残しています。

 古代の香取市域は、佐原地区付近は香取郡、小見川地区や山田地区の一部が海上郡、山田町の一部や栗源地区が匝瑳郡となっていました。 また、香取神宮は、下総国の一宮として古代より鎮座していました。

 中世期においては、市域の多くは千葉氏一族がその勢力を誇っていました。佐原を中心とした地域では千葉氏一族である国分氏が本矢作や大崎に城を構えていました。また小見川付近には東氏の一族である木内氏などが支配していました。山田の府馬城は、千葉国分氏の子孫である越前五郎時常が室町期に築城したと伝えられます。戦国期になると小見川には粟飯原氏が勢力を有するようになります。また、香取神宮周辺などには神領も多く存在していたようです。
 なお、中世期の古文書によると、香取海では「海夫」と呼ばれる漁民集団が存在していたとされ、沿岸には「おみかわの津」「つのみやの津」「さわらの津」など多く津があったとされます。

 天正18年徳川氏の関東入国にともなって、佐原の岩ケ崎には鳥居元忠が入り4万石の村々を領しましたが、短期間で転封し、その後、江戸時代を通じて市域の多くは幕府代官支配地や旗本知行地となります。そのなかで小見川の一部には文禄3年に松平氏が入り、その後領主の交代を経て、寛永16年からは内田正信が領主となり藩領が続きました。
 佐原や小見川は利根川水運の発達により、年貢米の津出し場や周辺地域の物資の集散地として栄え、醸造業などの産業も発展しました。此の時期、佐原村は「お江戸みたけりゃ佐原へござれ佐原本町江戸まさり」といわれるほどの賑わいを見せていました。

 一方南部には台地や谷津地帯は多くの農村集落が形成されていましたが、佐原から栗源にかけての台地上には、幕府馬牧の一つである油田牧が広がっていました。このため周辺村落には牧の管理等に係わる課役が負わされていました。
 明治8年、香取市域は千葉県に属するようになります。そして明治22年の町村制の施行により、佐原地区には佐原町などの9町村(後に8町村)、小見川地区には小見川町など5町村、山田地区には府馬村など3村、そして栗源地区には栗源村がそれぞれ成立しました。
 この間、佐原や小見川は水運による物資輸送の拠点となり、商業地として発展する一方、山田・栗源地区では台地を生かした桑苗栽培と養蚕業が盛んとなりました。特に明治40年代の県内の繭生産額において、府馬や山倉は上位を占めるほどでした。
 昭和26年から30年にかけての合併により、佐原市、小見川町、山田町が成立、栗源町はこれ以前の大正13年には町制をしいており、それぞれの市・町の歩みを重ねてきました。
 そして、平成18年3月27日、佐原市、小見川町、山田町、栗源町の1市3町が合併して、香取市が誕生しました。

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