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アーカイブ香取遺産 Vol.081~090

更新日:2016年2月1日

アーカイブ香取遺産

Vol-081~090

Vol-081 久保神社神幸絵図 神仏混合の絵巻

 久保神社は、その「無逸塾」跡地裏手の高台に鎮座しています。高皇産霊神を祭神とし、長徳元年(995)に陰陽師の安倍晴明が諸国巡視の折、 疫病救済のために勧請したと伝えられ、古くは大六王宮と呼ばれていました。

 本殿は、嘉永5年(1852)の建立で正面柱間が2間の切妻屋根を持つ建物(身舎)に庇(向ご拝はい)がついた三間社流造と呼ばれる様式です。

 また、近くには本神社の別当所であった光明山最勝院(現在は廃寺)がありました。

 久保神社にはおそらく、その両者によって執り行われたと思われる祭礼の絵巻物が残され、久保神社神幸行列の様子を彩色で描いたものと思われます。

 巻子装の紙本着色で本紙は幅298ミリメートル、長さ5909ミリメートルで、製作されたのは江戸時代後半と推察されています。

 絵巻の先頭は猿田彦、続いて20人程の僧侶が読経しながら散華を行って先導し、数人の白丁に担がれた質素な神輿巫女列、その後方に装飾された神輿と続きます。いずれの神輿も頂部は鳳凰ではなく、宝珠が据えられています。

 さらに、この後方に馬に乗った神主2人が随従し、近在の氏子たちの列と続き、拍子木を持つ人で締めくくられています。

 この絵図には、僧侶・神主・巫女・白丁を含む147人と馬5匹、神輿2基が描かれ、完全な神仏混合による祭礼の姿を今に伝えています。

 明治時代初期の廃仏毀釈によって失われた祭礼様式を知る上で貴重であることから平成17年に、本殿と共に市の文化財に指定されました。

 (広報かとり ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。平成25年2月15号(PDF:537KB)掲載)

Vol-082 小見川農商銀行 戦前には数少ない優良地方銀行

 戦前の日本には、今よりはるかにたくさんの地方銀行がありました。それらは、その名前に地名を冠し、地域に密接した営業を行って、 まさしく地域の経済を支える代表的な存在でもありました。そのひとつが、かつて小見川町に本店を置いて経営を行っていた、小見川農商銀行です。

 小見川農商銀行は、明治31年(1898)3月22日に営業を開始しました。設立者となったのは、小見川町や、府馬村、八都村(山田地区)に住む廻船問屋・商人・地主など、その当時の地元の有力者たちでした。小見川農商銀行の預金者には、利根川の対岸、茨城県側の住民も多く、 設立直後から急速に預金額を増やしていきました。

 設立から約2年後、不景気(恐慌)によって、存続の危機に見舞われましたが、経営者たちの努力によって、この苦境を乗り越えます。 これ以後、無理な貸し出しや支店の拡張を行わず、着実に預金量を増やしていった小見川農商銀行は、預金額が貸付金額を上回る、 当時の地方銀行としては珍しい堅実な経営を行います。関東大震災や昭和の金融恐慌など、他の銀行が休業や取り付け騒ぎに陥る中でも順調に経営を続けた結果、 県内の有力かつ優良な中堅銀行としての地位を獲得していきました。

 こうして戦前の数ある地方銀行のなかで、独自の、そして輝かしい足跡を刻んだ小見川農商銀行は、地方銀行の統合を進める国策の下で、 千葉合同銀行・第九十八銀行と合併を行い、昭和18年(1943)に現在の千葉銀行となります。本年2013年3月31日は、それからちょうど70年となります。

 (広報かとり ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。平成25年3月15号(PDF:536KB)掲載)

Vol-083 沢の宝篋印塔 市内最大級の石造物

 道の駅くりもとの南、道路を挟んだ向かい側に沢地区の共同墓地があります。その東端の一角に宝篋印塔と呼ぶ大きな石造物が建っています。

 総高は約3.4mもあり、市内に残る石造物の中でも最大級の規模を誇るものです。

 宝篋印塔とは供養塔の一種です。宝篋印陀羅尼経を納めたことからその名が付いていますが、他のものを納めても同形のものは宝篋印塔と呼びます。鎌倉中期以降に宗派を問わず造立が盛んになりました。多くは、基壇上に基礎・塔身・笠・相輪を積み上げる形をとっています。

 沢の宝篋印塔は、刻銘から寛文7年(1667)に造立されたものです。基礎部の石の3面に「首題一萬部・澤村真俗中/成就所/欽建之・寛文七丁未・四月上旬八日」とそれぞれ文字が刻まれています。沢村の信者が法華経一万部を捧げて供養した証しとして造立したものと思われます。

 基礎の下に基壇と一体となった反花座が刻まれ、笠の四隅にはやや反り返った隅飾と呼ぶ突起が施されているのが特徴です。また、相輪から基礎にかけて「妙・法・蓮・華・経」の五文字の題目が刻まれていますが、これも大きな特徴の一つです。

 他所の指定文化財の類例を見ると、基礎や笠が太く、全体的に安定感がありますが、この宝篋印塔は、時代的な傾向なのか、基礎から笠にかけて細く、その上にやや太めの相輪が重ねられていることから、上に向かうにつれて細く尖った形をしています。

 ちなみに宝篋印塔は、地域や年代により形状の相違がありますが、大きくは関東型と関西型に分けられます。関東型の特徴は、塔身に輪郭をつけ、基礎の下に反花座を加えますが、この宝篋印塔もその特徴を有しています。

 昭和57年3月16日に市文化財に指定されました。

 (広報かとり ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。平成25年4月15号(PDF:511KB)掲載)

Vol-084 五輪塔 全国的に流行した石造供養塔

 中世から近世にかけて建てられた石造供養塔のうち、最も一般的に知られているのが五輪塔ではないでしょうか。

 五輪塔は、下から方形(地輪)、円形(水輪)、三角形(火輪)、半円形(風輪)、宝珠形(空輪)の5つの部材で構成されています。これは、古代インド仏教において、宇宙は地・水・火・風・空の5つの元素で形成されるという思想(五大思想)によるものと考えられています。我が国では、平安時代中頃に真言密教と結び付き、大日如来を本尊とする供養塔として五輪塔の形態が生まれました。

 各部材の東西南北各面には大日如来の真言を梵字で刻む(四方梵字)のが本来ですが、正面のみに東方の発心門である「キャ・カ・ラ・バ・ア」を刻むものが多数を占めます。

 また、宗派によっては「妙・法・蓮・華・経」「南・無・阿弥・陀・仏」「空・風・火・水・地」などの漢字が刻まれているものや、まったく文字を刻まないものもあります。

 現在のところ、我が国最古の石造五輪塔は、岩手県平泉の中尊寺にある仁安4年(1169)のものです。鎌倉時代以降になると全国的に造立が盛んになり、時代を経て現代に至るまで供養塔や墓石として造られています。

 市内にも多くの五輪塔が見られます。上の写真は貝塚区の来迎寺にあるもので、市内にある五輪塔の代表例といえます。中央の大きなものは松平外記伊昌の正室・ふうの方の墓石で、高さは約2.1m、各部材の4面には四方梵字が刻まれ、寛永19年(1642)に造立されたものです。松平外記伊昌は三河の旗本で、徳川家から銚子飯沼に二千石を拝領し、飯沼陣屋が完成するまで来迎寺を仮陣屋としました。ふうの方は81歳で飯沼陣屋にて死去し、浄土宗に帰き依えしていたため当寺に葬られたといわれています。

 (広報かとり ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。平成25年5月15号(PDF:6,556KB)掲載)

Vol-085 大戸神社 雨乞行事に使われた鎌倉時代の舞楽面を伝える古社

 大戸神社は、大戸字本宮に鎮座しています。祭神は、天手力雄命です。

 社伝によると創建は、景行天皇40年です。日本武尊が東征のおり、勧請したとあります。

 最初は、現在の大戸字白幡周辺に鎮座したと伝えられ、その跡地には明治初年まで周囲に巡らせた土堤が残っていたといわれています。その後、孝徳天皇元年に現在の地に遷歴したと社伝にあります。

 明治の初め頃に、県社に列せられ、一時期は香取郡中の総鎮守でした。現在は近郷50余地区が氏子となっています。

 社殿は、本殿・中殿・拝殿からなっています。現在の建物は、宝永4年(1707)に徳川綱吉(第5代徳川将軍)により改築されたものです。

 大戸神社には、舞楽に用いられた面が伝えられています。納曽利面2面と羅龍王面1面です。

 納曽利面2面は、ほぼ同じ大きさで、縦19センチメートル、横17センチメートルです。2面とも鎌倉時代末期の特徴を持っています。社伝によると、蒙古襲来の時に鎌倉の武将が奉納したとあります。

 納曽利とは、舞楽の曲名です。納曽利面は、この曲で舞う際に使われるもので、一人舞と二人舞とがあります。

 羅龍王面は、縦30・3センチメートル、横19センチメートルの大きさで、頭上に翼をもった龍を乗せています。面裏には、「嘉暦2年戊辰」の紀年銘があります。戊辰は嘉暦3年の干支です。嘉暦2年は1327年です。

 羅龍王とは、仏教の八龍王の一人です。妙法蓮華経の序品第一などに記されています。

 面は、雨乞いの儀式に使用されたといわれています。その昔、干ばつに際し、雨を待ち望む人々の強い願いが込められたことでしょう。

 この3面は、昭和30年12月15日に千葉県の有形文化財に指定されています。

 (広報かとり ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。平成25年6月15号(PDF:517KB)掲載)

Vol-086 頭白上人塚 中世の大規模な供養塚

 県道佐原八日市場線、大根地区の「来光(らいこう)」バス停前、八日市場方面に向かって右側の杉林が「頭白上人塚」です。

 いまだに香華(こうげ)がたえないこの塚は、一辺が60mにも及ぶ三段に築構された中世の大きな方墳です。塚の最上部には文明18年(1486)銘の板碑が建立されています。

 頭白上人は、大根西蔵院第五世の住職で、生まれながらに白髪という風貌と、優れた能力の持ち主であったことから、尊敬と親しみをこめてこう呼ばれていたようです。

 戦国時代初期、この周辺では悪病や火災が続いたことから、上人は人々の苦しみを救うため、ここに入定窟(にゅうじょうくつ)を築き、生きながら地下にこもって七日七夜読経のあと死を迎えたと伝えられています。

 上人を慕って、多くの人々が塚造りに参加をしたことから、ときの矢作城主からそれ以上塚を高くしてはならぬと、制限されたと言い伝えられています。

 資料によると入定したのが文明15年(1483)であることから、死後3年を経て板碑が建てられたと考えられます。

 高僧と子育て幽霊伝説 頭白上人には、殺された母親から墓の中で生まれ、母親の幽霊が夜な夜なあめを買いに来て育てていたとの伝説があります。そのため、上人は生まれながらに頭髪が白かったと言われています。

 死んでからもなお、子どもを守ろうとする母の愛の深さが幽霊の薄気味悪さとともに人々の心をつかみ、布教や説法のために語られたと考えられます。

 なお、このような類似の話は日本全国に見られ、伝説と宗教が結びついたわかりやすい事例として興味深いものとなっています。

 本塚は昭和52年6月1日、市文化財に指定されました。

 (広報かとり ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。平成25年7月15号(PDF:7,136KB)掲載)

Vol-087 三匹獅子舞 風流の獅子舞

 獅子舞といっても、実にさまざまな獅子舞があります。赤い顔をした獅子頭に前足役と後ろ足役の二人立ちのものや、獅子とはいいながら、角を付けた獅子頭を一人で被る一人立ちのものなどです。民俗的には、前者は大陸から渡ってきた伎楽系の二人立ち獅子舞、後者は村などに害をなす災いを祓うために行われた風流系の一人立ち獅子舞とに区別しています。

 風流系の獅子舞は「獅子踊」「三匹獅子舞」などと呼ばれ、腹部に取り付けた太鼓を打ちながら舞い、背中には幣束などを付けています。これは、中世末から近世初期にかけて京都を中心に流行した風流踊の一派として成立した原型が、関東地方に伝わったとされるもので、関東・東北地方に広く分布しています。西日本の太鼓踊に獅子の要素が加わったものと考えられています。

 市内では、雄二匹、雌一匹の三匹が一組となって舞う「三匹獅子舞」と呼ばれる型の風流系獅子舞が伝承されています。「多田の獅子舞」「玉造・新寺の獅子舞」「返田の獅子舞」「津宮の獅子舞」「佐原八日市場の獅子」「一ノ分目の獅子」などがそうです。このうち、毎年行われているものは「返田の獅子舞」「佐原八日市場の獅子」「一ノ分目の獅子」です。

 「返田の獅子舞」は、11月13日の返田神社例大祭に披露されます。演目には、「足どり」「女獅子」「中獅子」「男獅子」があります。「佐原八日市場の獅子」は7月の祇園祭に、「一ノ分目の獅子」は3月の境宮神社の初午祭に、それぞれ、太鼓や笛で囃しながら氏子地区内を一巡りする道行が行われています。

 これら獅子の道行や舞うという行為には、人々を災いから祓い、安らかな生活を願う心が宿っています。

 (広報かとり ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。平成25年8月15号(PDF:6,435KB)掲載)

Vol-088 伊能景利収集の富士山火山灰 噴煙の記憶

富士山の大噴火

 現在、世界遺産の登録に沸く富士山は、火山としても知られます。今のところ活発な火山活動は展開していませんが、今から約300年前の宝永4年(1707)、富士山の火山史上で最大規模の噴火が起こりました。宝永の大噴火と呼ばれるこの噴火では、関東一円に大量の火山灰が降り積もり、江戸の街では、昼間でも明かりをともさなければいけないほどであったといわれます。

珍しい伝世の火山灰

 伊能忠敬の祖父にあたる伊能景利が収集したコレクションの中に、この宝永の大噴火の際に降った火山灰などが残されています。こうした火山灰は、発掘調査などにより地中から出ることはあっても、その当時に降ったそのものが現在まで伝えられる事例は、非常に珍しいものです。

奇石コレクター伊能景利

 景利は奇石のコレクターでもあり、各地の珍しい石を収集しています。景利が集めた宝永大噴火の噴出物は、この地域に実際に降ったものを景利が自ら採集したり、他地域で降ったものを人からもらったりして、収集されました。景利の宝永大噴火関係の収集コレクションには、火山灰の他に、火山毛と呼ばれるガラス質の繊維状のもの(植物性の可能性もある)や噴石などが存在しています。

 (広報かとり ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。平成25年9月15号(PDF:6,781KB)掲載)

Vol-089 稲葉山神社 富士山信仰の古社

 稲葉山神社は、市の南部、長岡地区に鎮座する古社で、祭神は木花咲耶姫です。
 社伝によると、大同元年(806)6月に駿河国(静岡県)富士浅間大神を勧請、創建したとされ、かつては浅間大明神と称し「小山の浅間様」とも呼ばれていました。
 本殿は、正面柱間が一間の切妻造平入りの建物で、正面側に向拝(庇)が付き、その分屋根が軒先まで緩やかに伸びています。一間社流造と呼ぶ神社本殿形式です。大正5年(1916)に草葺から銅板葺屋根に改められました。
 身舎(建物本体)の軸部は、4本の杉の丸柱(径約30センチメートル)を立てています。柱の上部に突き出た木鼻と呼ぶ装飾は、両側面には獏と象、背面は獅子の彫刻が施されています。また、向拝柱の上には獅子の木鼻が付いています。
 柱の上にある組物は二手先の出組で、妻飾りには、虹梁の上に大瓶束が3本も立つ珍しい構造を持ちます。
 組物間の羽目板には本蟇股を入れています。カエルが両脚で踏ん張っているような形の装飾で、正・背面は各1カ所、左右側面に各2カ所で、背面の蟇股には、富士山と思われる山の姿を拝む人物が透かし彫りで描かれています。
 周囲には高欄を付けた縁を巡らし、左右の脇障子には、竹林に虎と、松と滝に人物が彫られています。また、身舎と向拝柱の間は戸板で塞がり、中殿へ繋がっています。
 組物や彫刻にわずかですが胡粉や彩色の跡が残っていて、かつては彩り鮮やかな姿が想像されます。
 棟札は、慶長15年(1610)や寛文12年(1672)などのものが残されています。
 市内でも数少ない江戸初期の神社建築で、素朴ながら重厚な雰囲気を持つ社殿といえます(昭和53年12月市指定)。

 (広報かとり ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。平成25年10月15号(PDF:6,467KB)掲載)

Vol-090 国天然記念物「府馬の大クス」 台風26号被害からの復旧に向けて

 府馬の大クスは、府馬地区の宇賀神社境内にあり、古くから地域のシンボル的な存在として親しまれてきました。
 大正15年(1926)には、早くも国の天然記念物に指定された巨樹で、樹高は約16m、幹周は約15m、幹の起伏や根の隆起、太く大きな枝張りなど、その偉容は見る人を魅了してきました。県外からも多くの見学者が訪れています。
 その府馬の大クスが、10月16日の台風26号の影響により、大きな被害を受けました。
 被害は、大クス本体の東側の幹が縦に割れて、その上に伸びていた太い枝ごと、南側にある鳥居方向へ倒壊しました。このため、幹の一部が剥離し、内部が露出した状態になってしまいました。
 近年は、根の腐ふ朽きゅうや幹の空洞化により樹勢が弱っていたことから、市では平成15年度以降、樹勢回復などに努めてきましたが、残念ながら今回は強風を伴う稀まれに見る台風であったため、耐えられなかったのかもしれません。
 この被害を受けて市では、幹の剥離箇所を仮養生した上で、文化庁や県担当課などと復旧措置の検討を進めました。これにより、現在は、樹木医が中心となり、本体幹の剥離箇所の治療および表面の景観を整えるなどの復旧措置を施しています。また、倒れた樹木側の太い枝も、大クス近くに移植して保存していきます。
 市では、今後も文化庁などと協議しながら、現在の樹木の状態を維持、保全を図りつつ、樹勢を回復させることに努めていきます。
 その姿は少し変わりましたが、国の天然記念物としての価値は変わりません。新たに生まれ変わった大クスとして、今後も見守ってください。

 (広報かとり ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。平成25年12月15号(PDF:547KB)掲載)

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